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【パリの観光スポット案内】ムーラン・ド・ラ・ギャレット Moulin de la galette

モンマルトルにあったかつての風車の名残

モンマルトルの丘を登っていくと、ひと際大きい風車が目に入ります。19世紀にダンスホールに改造された風車小屋ムーラン・ド・ラ・ギャレットです。かつてこの辺りは田園風景が広がり、小麦を作るための風車が回っていました。この風車はその数少ないオリジナルの一つです(もともとは1292年に作られた非常に古い風車でしたが、その後修復されました)。

元々この風車はナポレオンがエルバ島に流された1814年以降、モンマルトルに住む人々が外国軍に抵抗するための本拠地として使われていました。当時ロシア軍に占領されたときには、小麦の製粉所の主人が抵抗して殺され、その体が風車の翼に張り付けられたこともありました。その後ナポレオン3世の第二帝政時代に、田舎作りのダンスホールに改造されたのがムーラン・ド・ラ・ギャレットの始まりです。「ガレット(焼菓子)の風車」という意味を持つこの気軽なダンスホールは20世紀初頭まで賑わい、多くの芸術家や労働者、お針子の女性たちが集まりました。

19世紀に流行した野外酒場ギャンゲット

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは当時流行のギャンゲット(野外酒場)でした。ギャンゲットの起源は19世紀にさかのぼります。当時パリ郊外にはこうしたギャンゲットがたくさんあり、税制の関係から安いワインを飲むことができました。そこで飲まれた安い白ワインが「ギャンゲ」と呼ばれていたため、ギャンゲが飲める野外酒場をギャンゲットと呼ぶようになったそうです。ギャンゲットは当時の庶民に人気で、その多くはセーヌ川沿いやマルヌ川沿いにありました。田舎の散策の休憩所として愛され、夏の日曜日には家族連れ、月曜日には労働者、木曜日には学生たちで賑わったそうです。当時はパリ郊外だったモンマルトルの丘にあるムーラン・ド・ラ・ギャレットもそんなギャンゲットの一つでした。


ゴッホやルノワールに描かれた風車

▲Pierre Auguste Renoir - Bal du moulin de la galette(1876)

当時の活気あふれるムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子は、多くの画家によって描かれました。当時モンマルトルの丘には安いアパルトマンが多く、お金のない画家たちがたくさん暮らしていたためです。有名な作品はルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876)。多くの人々が席に座って談笑したり、ダンスを踊ったりしている様子が描かれており、19世紀にこのダンスホールがどんなに繁盛していたかを知る貴重な資料でもあります。この絵画は現在はオルセー美術館に所蔵されています。ルノワールの絵を見ると、モンマルトルの素朴で陽気で庶民的なカフェであったムーラン・ド・ラ・ギャレットの雰囲気がよく伝わってきます。ゴッホによる『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1886)もあり、当時の素朴で美しいお店の外観を見ることができます。他にロートレック、ピカソ、ユトリロ、コローなどの画家たちも当時のムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子を残しています。コローの描いたムーラン・ド・ラ・ギャレットはとても写実的で、まるで少し遠くからその風景を実際に見ているかのようです。ピカソがパリに移り住んで初めて描いた絵が、このムーラン・ド・ラ・ギャレットでした。

現在のムーラン・ド・ラ・ギャレット

20世紀初頭まで庶民的なギャンゲットやダンスホールとしてにぎわっていたムーラン・ド・ラ・ギャレット。現在はレストランとして運営されています。サクレクール寺院の西側にあり、モンマルトル観光の合間に寄ることができます。店内に入らなくても風車の姿を見ることができ、モンマルトルの丘を象徴するランドマークになっています。風車小屋のレストランで昼食をとり、ルノワールによって描かれたかつてのダンスホールの名残を味わってみるのもいいかもしれません。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット基本情報

モンマルトルの風車小屋を改造したダンスホール(現在はレストラン)
住所:83 rue Lepic, 75018 Paris
最寄りメトロ:アベス(Abbesses)、ラマルク・コランクール(Lamarck Caulaincourt)


風車はパリの至る所にあった?

パリで風車と言えばモンマルトルのイメージがありますが、19世紀前半まで風車はパリの至る所にありました。パリはいくつもの村で囲まれ、そこに風車が立ち並び、パンの材料となる小麦を挽いていました。パリの風車は当時300ほどあったと言われ、19世紀のパリの遠景には風車が当たり前のように存在したのかもしれません。なかでも有名だったのは左岸モンパルナスの風車でした。フランス革命後にはやはり酒場として転用されたようです。その後モンパルナス墓地の建設によってほとんどが消えましたが、シャリテと呼ばれた一つの風車の土台が今でも墓地の中に残っています。