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日本海軍 航空母艦 赤城の特徴、性能、略歴まとめ【海軍艦艇】

▲赤城(昭和16年12月 北太平洋でハワイ作戦従事中)

 

「赤城」は本来、「八・八艦隊計画」により建造された天城型巡洋戦艦の二番艦である。

しかし、ワシントン軍縮会議で主力艦の保有数を制限されたため、建造中止。

空母への改造が認められていたので、空母として竣工することとなった。

とはいっても、日本海軍は「鳳翔」一隻しか空母を開発した事がなかったので、空母への改造はまさに暗中模索であった。

様々な案が出た中、「赤城」は甲板が二枚ある「三段空母」としての開発が決定した。下がその姿である。

 

 

 

三段空母とは言うが、二段目は艦橋甲板であって飛行甲板ではない。三段である利点は、発着艦を一度にすることが可能な点である。

一番上を全通式甲板とし着艦、二段目はゴンドラ型の艦橋を吊るし、三段目から艦載機の発艦を行う(当時は複葉機だったので短い甲板でよかった)。

しかし、運用上で不都合が次々と露呈。昭和十年に全通甲板と島型艦橋を持つ近代空母へと大改装されることとなった。

この時艦橋は、世界でも類を見ない左側に配置された。

日本海軍(世界でも?)で艦橋を左に配置したのは「赤城」と「飛龍」のみである。煙突との重量バランスを考慮しての事だが運用上効果は見られなかった。

また、左に艦橋を設置した結果艦上で乱気流が発生。航空機のエンジンの回転方向が影響して着艦時事故が多発したのである。

加えて、赤城の甲板は中央から前・後方に向かって若干下り坂で、左艦橋とあいまって着艦が非常に難しく、パイロットには不評だった。

その他の特徴に、艦首・艦尾方向へとそれぞれ若干の下り傾斜が付いていた事が上げられる(開戦直前に改めたらしい)。

生まれ変わった「赤城」は「加賀」、米空母レキシントン、サラトガと共に、当時の世界四大空母に数えられた。

しかし、予算不足で防御力は強化されず、高角砲・対空機銃は貧弱なままであった。

(開戦に前後して、甲板の傾斜は改善されたようだ)

 

開戦後、真珠湾攻撃を初め各地を転戦。

「加賀」と共に第一航空戦隊を編成し、同戦隊の旗艦・日本機動部隊の中核として太平洋やインド洋で破竹の快進撃を続ける。

しかし、1942年6/5のミッドウェー海戦で爆弾2発(3発?)が命中。

格納庫内の魚雷や爆弾、燃料が満載された艦載機などに次々と誘爆し大火災が発生し大破。

「赤城」は大火災を起こしたものの、左に傾いているだけで沈没する事はなかった(といっても、飛行甲板を始め殆どは焼け落ちていた)。

敵攻撃の可能性が残っていた為、日本までの曳航は無理と判断され、「萩風」「野分」「嵐」「舞風」の魚雷により自沈処分となった。

 

なお、「赤城」には同型艦の「天城」が存在し共に空母へと改造されていたが、「天城」は関東大震災により大破。解体となっている。

 

赤城 性能(最終時)
排水量 (基準)36,500t (公試)41.300t
全長 (全長)260.7m (喫水線長)250,36m
全幅 (船体全幅)31,32m
喫水 (喫水下)8,71m
ボイラー ロ艦本式重油専焼罐×19
タービン 抜本式オールギヤードタービン×8 4軸推進
出力 133,000馬力
最大速力 31,2ノット
航続距離 16ノット-8,200海里
燃料×満載 重油×6,000トン
乗組員 2,000人
備砲 三年式50口径20cm単装砲×6 一〇年式45口径12cm連装高射砲×6 九六式25㎜連装機銃×14
艦載機 (定数/予備) 戦闘機(12/4) 艦攻(35/16) 艦爆(19/5) 計66/25 91機 エレベーター×3
飛行甲板 249,2m×30,5m (装甲)水線帯250㎜

艦名の由来

天城 静岡県伊豆半島の中央にそびえる火山群の総称天城山。川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台として有名
赤城 群馬県東部にそびえるコニーデ式二重火山。国定忠治の物語で有名

 

赤城(天城型)年表

天城
1920年(T9) 12/16 巡洋戦艦「天城」として横須賀工廠にて起工
1922年(T11)   ワシントン条約締結により建造中止
1923年(T12) 12月 空母への改造が決定
  9/1 関東大震災で大破損傷。解体決定

 

赤城
1920年(T9) 12/6 巡洋戦艦「赤城」として呉海軍工廠にて起工
1922年(T11) 12月 ワシントン条約締結により建造中止
1923年(T12)   空母への改造が決定
  11/9 空母への改造工事開始
1925年(T14) 4/22 進水
1927年(S2) 3/25 竣工。横須賀鎮守府に籍をおく
  8/1 連合艦隊付属に
1928年(S3) 4/1 第1航空戦隊編入
  12/10 山本五十六大佐が艦長着任(~1929年11/1)
1929年(S4) 4/1 第1航空戦隊編入
  4/22 済洲島沖で洋上訓練。悪天候で多数の艦載機が洋上に不時着
1930年(S5) 12/1 連合艦隊第1航空戦隊編入
1931年(S6) 12/1 横須賀工廠で一部改装
1933年(S8) 4/25 第2航空戦隊に編入
  10/20 第1艦隊第1航空戦隊編入
1934年(S9) 11/15 第2艦隊第2航空戦隊編入
1935年(S10) 11/15 佐世保工廠で全通式甲板への大改装開始
1938年(S13) 12/15 第1艦隊第1航空戦隊編入
1939年(S14) 11/15 草鹿龍之介大佐艦長着任(~1941年3/25)
1940年(S15) 11/15 特別役務艦となる
1941年(S16) 4/10 第1航空艦隊第1航空戦隊編入。第1航空艦隊旗艦に
  12/8 ハワイ作戦。真珠湾攻撃
1942年(S17) 1/20 ラバウル攻撃
  1/21 カビエン攻撃
  1/22 ラバウル再攻撃
  2/19 ポートダーウィン攻撃
  3/1 ジャワ海にて米特務艦「ペコス」撃沈
  3/5 ジャワ島チラチャプの艦船を攻撃
  4/5 コロンボ攻撃。英巡コンウォール、ドーセットシャー撃沈
  4/9 ツリンコマリ攻撃。英空母ハーミスと駆逐艦一隻撃沈
  6/5 ミッドウェー海戦参加。米艦爆の爆撃を受け爆弾2発命中。炎上後大破
  6/6 AM2:00、本国への曳航は無理との判断により駆逐艦「萩風」「舞風」「野分」「嵐」の魚雷にて自沈処分
  9/25 除籍