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鳥形山とは

 鳥形山(一四五九・七㍍)は剣山、石鎚山に次いで四国屈指の名山である。村の西方にあって、丁度鳥が翼をひろげたような形で、その雄大な姿は男性的であり、また自然美の表徴である。昔も今も村人から仰がれ親しまれてきた。

往古は矢筈に似ていることから矢筈山と称し、今なお矢筈山とも呼ばれている。高知市や越知町から西方を望むと、富士の秀麗にもさも似て、薄青くそびえ立っている。矢筈山といえば、だれも知らないものがない程世にも知られている。村では矢筈山といわず 鳥形山と呼んでいる。

鳥形山一帯は平家落人の伝説地としても有名で、文治三年(一一八七)八月安徳帝が都村から横倉山の行宮に御遷幸の途中、帝滞ケ平の西方字岩屋ケ平の岩窟、通称<八畳岩屋>に暫時御休憩のとき、源氏になぞらえて白鳥を飛ばし、これを的とされ、御弓を引かれたとき、弓は白鳥の片羽にあたり、白鳥は片羽のまま、遠く青空へ飛んでいった。天皇はこの白鳥の飛ぶ様を御覧になって、この山を<白鳥(しらとり)片羽山>と宣われた。いつしか略されて、鳥形山と呼ぶようになったと古老は語っている。 

▲昔の鳥形山
白線の上部が露天掘りによって消失している(推定)

▲現在の鳥形山。平成十六年

 


いつから鳥形山と言ったかを詳らかにすることはできないが、天保七年(一八三六)六月二十五日、長者村庄屋代高橋重兵衛の深尾家佐川立山の指出書に「鳥形山。但樅、栂少々有之専ラ雑木生立。」と記されている。また明治十一年九月、高知師範学校出版、茨木定興著、高知県管内土佐国地誌略に「鳥形山ハ、泉村、大植村、連山ノ間巓ニ在リテ、特ニ峻絶ナリ。山巓凹形ニシテ、遠ク之ヲ望メハ、箭筈状ヲナス。故二又箭筈山卜称ス。」とある。長宗我部地検帳に刑部薮村矢筈峠の地名があって、今に太郎田から東津野村芳生野に越す峠を矢筈峠と称し、矢筈山の名称は、この矢筈峠によって漸く余命を保っているに過ぎない。 


鳥形山は予土国境の峰に続き、西に延びて大引割、天狗高原を経て大野ケ原に達し、鳥形山脈の主峰をなしていて、カルスト地形としても有名である。鳥形山の中腹には帝滞ケ平(桟敷ケ奈路)という高原があって、牛の放牧場で、黒、赤、まだらの大小の牛が、ところどころで、草をかんでいる風景は、いかにも、のどかである。また鳥形山の麓には長者川と白石川の渓谷が流れている。土佐州郡志に「鳥形山、高可一里、其麓有刺木之奈路、方言謂地平処日奈路。」 「川股矢筈麓二流」とあって、山色水光極めて絶佳である。 

殊に鳥形山は高山植物も豊富で、牧野富太郎博士が特産<鳥形ハンショウゾル>を発見以来有名となり、イワギク、キンキマメザクラ、フキヤツツバ、ユキワリソウ等幾多の高山植物が繁茂していて、高山植物の宝庫とされている。 


高知市からの登山者は、土讃線佐川駅で下車し、国鉄バスで二時間、近代化の国道三十三号線を迂余曲折の仁淀川に沿ってさかのぼり、上仁淀橋から森に至り、長者川をさかのぼって、登山口泉川に達する。ここを流れる泉川渓谷は、長宗我部地検帳に「西谷村、五葉嶺ノ東泉境」とある五葉松で有名な五葉峰から源を発し、岩間を縫って奔流し、長者川に注いでいる。ここが泉川と長者川の合流点で、海抜三百九十㍍である。この<泉川渓谷>は水清くとうとうと奔って岩に砕け、水音谷間にこだまする。春ともなれば、玉をころがすかのような鶯の美しい声が流れてくる谷間に、アメゴをつる姿も棄て難い。この渓谷は夏は冷たく、冬は温かで水煙さえ立ち昇る。陽光がさんさんと降り注いで、まぶしい程若葉に照り映え、目を射るような初夏に郭公、時鳥の声高らかに、この山峡に飛び交わし、渓谷に青藍海苔を採る乙女の姿が、ちらほらと見える風景は、風物詩ともいうべく、一入渓谷の魅惑と清々しさを覚え、全く楽園地である。

この登山口泉川から、えんえんと坂道を登り、鳥形山の頂上までは約七㌔で、登る時間は二時間から三時間もかかる。また楽なコースは、長者駅から自動車で十二㌔を、海抜一千㍍余の石神峠の無人マイクロウエーブ経て走ると、一時間足らずで頂上に達することができる。

土佐州郡志に「鳥形山在泉村西自山下至山上行程一里許。」とある。無人マイクロウエーブのあるところは、もう視野も広くなり、秋ともなれば、眼下の山々は紅葉に飾られ、まるで錦を広げたかのようで、その美しい風景に見とれて、人々はここを去ろうともしない。

ここから小さな険しい道をよじ登ると、もう高山へ登ったという英雄感が、そぞろにわいてくる。近くは伊予柳谷村の家々、遠くは久万の山々を北に見つつ‥…、いつの間にか頂上近くの<加良池奈路>という小さな高原に着く、ここは東の森と西の森の中間にあって、東西百五十㍍、南北百七㍍の高原で、長さ四十五㌢ら六十㌢の寝笹でおおわれ、丁度青畳を敷いたかのようで、樹間を歩むと、さわさわと静かな音を立てて、まるで浅瀬を渡るかのようである。この笹は学名を<都笹>と呼んでいる。 

東の森に登る路傍に<加良池>という池の跡があって、直径二十㍍、やや円形で、池の深さは底まで七㍍もあり、池の周囲には石灰岩が点在して、摺鉢のようである。名のとおり現在は空地であるが、安政年間に記されたという土佐州郡志別枝村のところに「鳥形山。在本村東山上有二峰。曰西之森、曰東之森。勢極高峻也。人有登臨。則四州之地在目中。又両峰之間有池、名加良池、水常不枯渇-、池辺有二桧峠宜立、曰華表、枝葉繁密也。」とある。この記録によって、加良池はいつも水をたたえていたことが考えられる。この他の跡はドリーネである。西の森へはこの加良池奈路を横断し、傾斜の度がゆるやかで、いつのまにか登り、どこが頂上とも知れない。この森一帯に山毛欅(ぶな)の大樹が茂っていたが、惜しいことに今は伐採してない。森の南側は極めて険しく、千尋の幽谷ともいうべく冷気をさえ覚える。東の森の頂上には大きな石灰岩が累積して、展望台のように小高くなって、三角点がりあり、四州眼下にあるの感がする。 

真下には帝滞ケ平の高原が手に取るように見える。南には洋々たる太平洋が一望の中に収め、北に中津山(一五四一㍍)、南に不入山(一三三六㍍)を控え、東北には四国アルプスの山々が重畳として、偉容な姿で薄青く大空に溶け込んでいる。東は高知、香長の平野が薄黄金に光り、はるか東方には土佐湾を囲んだ室戸岬の峰が一線を引いたように太平洋に突出し、青黒くかすんでいる。頂上のながめ、遠近指顧の間にあって、山岳の一大景観ともいうべく、詩的情緒に満ちて、そぞろに四方(よも)の自然美に陶酔するのである。

(仁淀村史・昭和四十四年)