社会の雑学・豆知識

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なぜに小学校が狙われるのか?

小学校に不審者が入り、被害者が…そのような話を聞いても不思議ではなくなりました。私が子供の頃には想像も出来なかったことです。

小学校は児童が小さい子ばかりで力が弱い集団です。だから狙われる!そう言う意見を耳にします。確かにそれもあるでしょう。でもそれだけが理由なら、幼稚園保育所の方が狙われやすいのではないか?と疑問を持っています。

大阪兵庫、比較的関西地方の方が事件が多いような気がします。それはなぜでしょう?そう言った疑問もあります。

以上のことを考え、私は以下のように推測しています。

部落・同和教育問題


根底にあるのはこれでないかな?と、私は思っています。いきなり唐突ですので順を追って…

そもそも北海道に住んでいる私にとってはこの部落・同和教育というのは馴染みが薄い物です。関西に行ったことは数回しかないのではっきりとしたことは言えませんが…確かにこの差別は少なくなったとはいえ未だにあることだと思います。北海道も似たような事でアイヌの人たちがいるのに恥ずかしい限りです。

エタ・ヒニンについて(士農工商えたひにん)

部落と言われる場所に住んでいる方は、江戸時代エタ・ヒニンと言われる人たちだった人の末裔です。エタヒニンは、江戸時代の身分制度、士農工商のさらに下に位置し、エタまでは人として扱われますが、ヒニンにいたっては人ではない。という扱いでした。

エタ、ヒニンは、江戸時代からの物かと言われたらそうではなく、エタにいたって中世から文献に登場します。エタは「穢多」という字が当てられています。穢れ(汚れ)が多いという意味です。ここで言う汚れとは、死んだ動物を処理すること。動物の皮を製品に変えること。が、汚れたことです。今の時代で考えたら、肉を食べてるし、ブランド物のカバンなんかもみんな汚れていますね。

当時は、仏教が盛んになるころ、この4つ足の動物を食べたり、処理したりすることは忌み嫌われることでした。もともとこのエタと言われる人々は、農業を営み、そしてそれに必要な牛馬を管理していたと考えられています。管理しているのですから当然死んでしまったら処理しなくてはいけません。その他にも大工、神社、仏閣の掃除などもしていたようです。ようは汚いと思われる仕事全般です。牛馬を管理するのはある意味特権だったと考えられています。

では、どこでねじ曲がったのか…仏教と言えばインドそのインドにカースト制度という制度があるのですが、その制度を日本に持ち込んだのは「空海」(弘法大師)と私は睨んでおります。空海がここまでの差別を行おうとしたかは疑問ですが、いつのまにかねじ曲がり仏教が広く知られるようになった頃には、「汚れたことをした人は今の現世を生きてるうちにぬぐうことは出来ない」の教えのもと汚れ多き人たちと忌み嫌われるようになったのではないかと推測しています。

それでは、ヒニンにいたってはどうだったのかというとよくわかっていないのが現状のようです。江戸時代前にはなんと、ハンセン氏病までしっかり「カタヒ」という名前で差別され江戸時代にヒニンの中に組み入れられたようです。このヒニンは「非人」とあてられ何をしていたのかというと、牢屋で死んだ人の処理、乞食、祝い事があるときには、読経や歌や踊り、その他の芸を見せて駄賃をもらっていたようです。

私が読んだ本によると、四国地方ではいまでも犬神憑き信仰という物があるようです。この犬神憑き信仰というのはなにかというと、病気・災害は、犬神・狐神その他が起こす物と考えられていたようです。医学・科学が発達した現在では原因がわかるものがほとんどですが、昔はこうしたわからないものに対しての「スケープゴート」がこれに限らず数多くあります。

村々に「犬神家の一族」のような神様の化身とも言うべき人達がいました。例えば病気になったとき…「隣村の狐神が憑いたからだ!」という結論に至った場合、我が村の犬神様にお願いして憑きものをおとしてもらうという考え方があったようです。呪文とか、踊りとか色々なやり方があったでしょう…この神様の一族は村にとっては大変大事にされていました。(神様ですから…)

それが時がたち、だんだんと、「もしも犬神様一族のご機嫌を損ねてしまったら…」という考えが発生し、この一族に嫌われたら自分に憑きものをおろされる!という考え方が出てきました。

病気になった場合、隣村の狐の神様…ではなく、自分の村の犬神様という考え方に変わり、だんだんと忌み嫌われる存在になり近寄らない存在となりました。この人達はだいたい名字に犬とか狐とか猪とか入ることが多かったようです。そうですこの人達は犬神の一族でしたら人ではなく犬…そう考えられていたのです。憑きものをおとして謝礼を受け取ったり、ご機嫌を損なわないためにお供えをする…なんてことは簡単に想像できます。食べ物等に困れば一言言えばたぶん差し出した事でしょう。ある意味、病気と災害と死を司っている人ではない人たちなのです。と、私は推測しています。これは四国に限らず全国に似たような考え方があったようですがやはり関西、四国、中国地方などに多かったようです。私はこれが非人の始まりだと思っています。

このエタヒニンと言われた人達も当然明治維新により人として戸籍が作られるのですが、ここで問題があります。この戸籍には、江戸時代の身分(士農工商)が記載されていたのですが、この人達は「新平民」としっかり書かれているのです。そして一地区に住むようになりました。

明治時代になっても「新平民」が住む一部地域は部落と呼ばれ差別を受けてきました。差別を受けるとどうなるかは容易に想像できることで、部落の者と言うことで結婚することが出来ない、嫁には行かせない、そして、就職も難しいでしょう。運良くできたとしても世間的に言われる「きつい、きたない、きけん」現在で言う汚れ多きと思われている仕事でしょうし、就職が出来ないとどうなるかも簡単なことで生きていくために犯罪おかし、暴力団に入る人も少なくなかったでしょう。スラム化していってもおかしくない状況です。スラム化するとどんどん差別は大きくなり悪循環の繰り返しです。

さらに、この「新平民」といわれる部落以外にも「朝鮮系の人たち」の部落も構成されていきます。こちらの部落は更に悲惨な状況を極めたらしいです。

日本人の差別意識と差別の仕方は非常にねちっこくひどい物だと感じます。人にたいしてや、この部落に住んでいる人たちに直接的な攻撃差別は少ないと思われます。逆に「悪戯書きをする」「陰口をたたく」「無視をする」というような間接的な物で、やられた方にしてみては、怒りの矛先が非常に向けにくいものだと感じました。アメリカの白人が黒人にしたような「石を投げる」といったような直接的なものであれば、まだ返しようがあるといものです。

学校ではどうだったかと考えると、子供はもっと直線的です。学校現場では大変だったことが簡単に想像できます。そもそも学校の先生達は左翼的思想の方が多いのでどうにかしようと頑張った方も多数おられると思いますが、もとは親ですからその親の思想、思考を変えるまでにはいかなかったと思います。逆に、「臭い物にはふた」で、口ではきれい事を言いつつ、実際は差別意識を持ち続けるというような、ほっておいて欲しかったと思う親が多かったそんな実情だったのではないかと想像できます。

さらに、この事が、関西地区における先生達の肩身の狭さを作るきっかけになったのではないかと想像しています。知人の大阪出身の先生は「実家には帰れない。」「うちから教員を出してしまった!」と親から言われたようですが…さんざんな言い方ですね。

 

ここまで書いておいてなんですが、これは私の私見ですので、根拠は全くありません。

それと、私は、差別には反対だし、差別的な事は嫌います。用語的、文語的にそういった方向に間違われる可能性もありますが、今一度、社会って物を自分自身で考えてみるために、書いてある物ですのでその辺を十分考慮して読んでください。

封建社会的資本主義社会

このページを読んでいる人に問いたいのですが、今自分自身が考えていることや思想の元になっている物はナンなのでしょうか?

今の日本は行き詰まったようなイメージがありますが本当にそうでしょうか?

世界でも経済大国なのは間違いないと思います…どこで、今自分自身の考え方が植え付けられたのかというと…

それは、義務教育が行われる小中学校です。学校の問題は、大なり小なりたくさんありますが、世の中を変える一番の方法は、教育を変えることだと言うことは誰もが知っていることです。「ゆとり教育」うまくいかなかったかもしれませんが、その本意はけして間違った物ではなかったと私は思っています。ただし、現場の教職員が実践するにはあまりにも高度だったことは間違いありません。詰め込む教育の方が実践するには簡単なはずです。

教育を変えるには=教員を変えなくてはいけない。当たり前な理屈で、教育を変えれば、社会は変わります。

しかし、今の世の中を本気で変えようと思う人間は数が少ないのです。もしかすると、私たちは、お金や物の奴隷になっているかんがあります。

今の教育がなぜ出来たのか?考える人は少ないと思います

江戸時代は完成された世界だった

江戸時代の社会は将軍と言われる人をトップにし、側近の老中という人が政治を行ってきました。ある優れた人が、グループが、その社会に活きる人を責任を持って幸せにする。っと言う考え方は、実はそれほど間違っていません。優れた人間=エリートが統治する社会ができ、それに従うのであれば世の中は幸せなはずです。ただし、自分の私利私欲に走る偽エリートだと困ります。

北町奉行、南町奉行でおなじみですが、江戸時代は、一つの役職を、何人かで勤めていました。今で言うワークシェアの形です。

安易に物を捨てることはせず、人糞ですら売り買いされ、首切りで有名な山田浅右衛門は、罪人の首を切ることで生計を立てていたわけではなく、首を切ったあとの罪人の死体をもらいうけ、その肝臓等を使い薬を作り生計を立てていました。罪人の死体ですら無駄にしない社会です。人道的に良い悪いではなく、日本の国のみでうまく循環して社会として成り立っていったわけです。

立ちゆかなくなった理由は、ご存じの通り黒船来航からですね。

私は江戸時代に生きていたわけではないのでわかりませんが、士農工商エタヒニンまで、自分の事や社会に不満はもちろんあったと思いますが、社会の一つの役目やポジションとして、私たちが思うほど大きな不満があったのかどうかと言うことです。直訴起こせば首謀者は死罪ですが、お願いは聞き入れられていたようです。今を生きる私たちが思うほど酷い社会ではなかったと思われます

奴隷がいないと成立しない社会

古代ローマやギリシャ社会等は、奴隷がいないと成立しない社会です。労働は奴隷の仕事であり役目です。奴隷を得るための戦争が大きな理由だったようです。有名な哲学者も何人も輩出しているギリシャ社会ですが、奴隷制度にいたっては、批判している項目を目にしたことはありません。農業は奴隷の仕事だったローマでは、それを理由にたびたび戦争を仕掛けています。

ようは、自国で社会を成立させる事が難しい仕組みなのです。嫌なことや大変なことに意味はなく、もっぱら奴隷にやらせるということです。自国でまかなうことより、他に目を向け、搾取するやり方は、人道的な部分で大きく変わってきているとはいえ、根本的にはあまり変わっていないような気がします。

明治時代からの日本

江戸時代まで、農民等は、晴れたら畑を耕し、雨が降れば本を読む(実際そこまではなかったと思うが)晴耕雨読的な世の中だったと推測します。江戸時代の読み書き率は世界から見ても低くはなく逆に高かったと思われています。

そして、明治になるわけですが、一人一人の非効率的な作業でなく集団で作業する必要が大きくなってきた世の中です。雨が降ったら仕事をしないとか、時間が適当とかそういったことは許されません。決まった時間に集まり作業する必要が出てきますが、そのためには、訓練する場所が必要です。少し考えてみてください、朝起きて、ご飯を食べて、時間通りにその場所に行くというのが、国民として義務づけられるのはいつからでしょう?そうです小学校からです。

読み書きそろばん等々の詰め込み作業よりも、実は、こちらの理由の方が社会的には重要な訓練です。それを9年間徹底的に訓練されるわけです。そうして、協調性等々の集団という物を、仕込まれていきます。これが、資本主義等に、明治から日本が移行するためには欠かせない物だったはずです。

そのときに、士農工商というものが、差別的な精度であり、その下に奴隷のような人がいるという、ある意味日本ではなかった価値観が利用されたのではないかと思われます。

古代ローマやギリシャのような社会には、必ず奴隷が必要になります。そういった役目というかポジションがはずせません。日本独自の社会は明治には否定され、豊かな国という名の下に、こっちの路線に走っていっているのは今も変わらないと思います

もしかすると、労働者=お金や物の奴隷であり、それを見せる幻が、豊かな国という教育なのかもしれません。

良い学校→良い企業→高収入が幸せな条件だとずっと信じられてきて、人の上に立つことという教育がなされてきている可能性があります。そうなると、そうでなく下の人たちは、ダメな人という図式ができあがり、差別の対象になる可能性があります。

 

先に書きましたが、これらの意識を変えるには、当然教育を変えなくてはいけませんが、上に立っている人間が、豊かな国路線でいるかぎり変わることはないでしょう。豊かに生きる幸せに生きることの履き違いが、同和問題の根底にあるのではないかと思います。

差別を受けてきた人たちだって、豊かになりたいでしょう?関西地区で起こる現業職員といわれる公務員が起こす諸問題は、ニュースで伝え聞く限りこういった意識が働いていると私は感じました。現業職員は公務員ですが、事務職からみたら…等、意識があるはずですし、もしかしたら採用の段階で、そういった方たちが多く採用されているのかもしれません。いわゆる逆手にとった逆差別が幅をきかせてもおかしくないでしょう。しかし、そういった社会にひずみを作ったのは、当事者たちではないと言うことも事実です。

豊かな国日本という路線があるかぎり、そこから外れてしまった人たちが、憤って、様々な事件を起こし、被害に遭われた方はとんだとばっちりですがこういった事件や問題はこれからもおそらくなくならないでしょう。なくなるときは教育が変わるとき=教える人間が変わるときになるかと予想します。